大阪市の渡し船とは@大阪渡し船自走式散策

現在大阪市内で運営されている「渡し船」は全部で8経路。運営は全て大阪市当局であり、その全てが大阪市大正区近辺(すなわち木津川デルタ地帯)である。直接の管理部局は「木津川渡船」が港湾局、それ以外の7路線が建設局となっている。大正9年の道路法改正により「道路」と同じ扱いとされており、料金は全て無料となっている。無料といっても運営費用は大阪市民の「税金」である(国の補助とかも入っているかもしれないが)。朝夕のラッシュ時は積み残しが発生することもあるらしいので、大阪市民以外の方が利用する場合は混んでいない時間を見計らうくらいのデリカシーは欲しいところだ。

最盛期には全部で31ヵ所の渡船場が存在し、69隻(機械船32隻、手漕ぎ船37隻)もの渡し船が運航されていたという。昭和10年のデータによれば、年間利用者が約5752万人で自転車等約1442万台に達したこともあったという。その後、モータリゼーションの発展とそれに歩調を合わせるかのような都市基盤の整備が進むにつれて、渡船場の数は減少の一途をたどる。現在は上記のように8路線を残すのみとなっている。ちなみに平成13年のデータでは、年間利用者数は約209万人とのこと。

大阪は古来より「水の都」として名高かった。現在の大阪市標である「澪標(みおつくし)」は船の運航をスムーズに行うため設けられた海・河の交通標識をモチーフにしたものである。大阪が水の都として発展を遂げたのは、淀川・木津川デルタに開けた街という位置的な理由がある。江戸時代には全国の米が大阪を目指して集まったが、その際の運搬手段として用いられたのは市中に巡らされたクリークであり、そこを行き交う大小の船であった。現在のイメージを念頭にするとイメージは無理だが、当時の大阪はベニスと似た立地条件を備えた水運の町であったことがうかがい知れる。

大阪のアイデンティティーとして一般に膾炙される商人精神。マスコミに安易に使われすぎて金属疲労の気がないでもないが、それは事実である。彼らが活躍する舞台は「水運」というインフラ整備がなされた「水の都」大阪だった。商人の街「大阪」を支えた「渡し船」を通じて、往事に思いをはせてみるのも面白い。

参照

このページは船町渡船場事務所でいただいた「渡船場マップ(Ferries Map)」を参照しました。無料で配布されているパンフレットなので、興味のある方は一読なさってみると良いでしょう。ちなみに待合室には置いてありません。私は船町の渡船運行事務所でいただきました。


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